2008年5月 4日 (日)

国際児童文学館存続の署名要請がきた

書こうか書くまいか、ずっと迷っていたけど、本音を書きます。

騒動の根っこは、大阪府の財政が非常にきびしく、知事が削減対象に府立の児童文学館を入れたことにあります。ジドー文学にたずさわる者なら、存続にむかって動くというのが筋のような気もします。が、どうも気が乗りません。

実は、何年か前に児童文学館にいったことがあるんです。中は、ガラガラ。今は騒動になっているので、入館者もふえているかもしれませんが、すくなくとも、わたしの印象では、地方図書館以下の利用しかされていない。とにかく場所がわるい。そのくせ建物は立派。ホームページにいくと、レストランはあるわ、ホールはあるわ、セミナー室はあるわ、いかにも大阪府のハコものという感じがいなめません。そのくせ、そういう施設があるからといって、たとえば、児童文学者協会の関西の会がそこで開かれましたか? 開かれないでしょう。規模的に中途半端だからです。

大事なのは、中の資料。資料を守り、これからも集めるためだけなら、あのハコはどうなんでしょう? その目的だけなら、ホームページの施設案内を見る限り、半分もあれば充分です。だから、素直に存続に賛成できないんです。ハコを廃止して移転したいと言っている知事に「ハコごと存続してくれ」と要望を出すだけというのが、なにより気に入りません。それなら、こちらで選んだ場所に移転した場合の経費を試算し、これだけ安くなると計画書を突きつけてやるほうが、よっぽど未来があります。だけど、だれもやらない。政治力に劣るとしかいいようがありません。

おなじことは、上方演芸資料館・ワッハ上方にもいえます。ワッハ上方ってね、ミナミの真ん中、ナンバグランド花月のむかい、baseよしもとの上にある施設なんです。ここも値打ちがあるのは資料。だけど、一般人が見ても、あまり面白くないんだ。上方芸能の映像資料は値打ちありますが、それだけで入場料をとるのは、あんまりです。しかも、芸能の大半は吉本がらみなくせに、施設が入っているビルが前述のように吉本のもので、吉本に賃料を払っているというのがなんとも。あの場所なら、賃料もバカにならんでしょう。吉本に金を払って吉本の宣伝をしてやっているといえば、言いすぎでしょうか。ワッハ上方は、吉本が買い取ればいいだけの話です。どケチなので、しないだろうけど。

話は児童文学館にもどします。はっきりいって、大阪の行政はサイテーです。何年か前、大阪の某区役所にいったら、こんなことがありました。まだ今ほど役人バッシングが激しくないころです。窓口待ちをしていたら、大声でまくしたてるおっさんがやってきました。「役人の怠慢ゆるすまじ」。で、窓口にからんでいるの。今にも暴力沙汰がはじまりそうで、びくびくものでした。まもなく、カウンターのむこうから、役人が現れ、すわって、おっさんの相手をしはじめました。

「これって、因縁をつけて、ヤカラがたかっているだけと違うの?」

当時は、そう思っていましたが、最近、そこの区役所が裏金づくりしていたことが発覚しました。なんじゃこりゃー、です。ヤカラのおっさんに肩入れはできないけど、役人も役人。両者ひっくるめて、THIS IS 大阪。

そういう大阪行政に文化を守ってくれと嘆願するなんて、どうなんでしょう。橋下知事も、人気先行型で、実務経験のなさから、あちこちで無知をさらしています。だけど、行動だけはしたいタイプ。無知を突かれて泣き顔を見せたら、お茶の間の人気者を泣かせたとして、全国から、そういう事態にした関係者に抗議殺到の有様。中身を精査せずに印象だけで動くなんて、これじゃあ衆愚ヒステリーではありませんか。お茶の間の支持を盾にされたら、なんだってできちゃいます。逆にいえば、現知事は、なにをしでかすかわかりません。そんなあぶない人間から身を守るためには、こちらももっと戦略的になるべきでしょう。資料は大事だけど、「ハコごと存続」の署名には、乗れません。

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2008年4月14日 (月)

作家仲間への耳寄り情報

といっても、ここにきている作家仲間らしき人は、ごく少数。ま、いいか。

会場でお話したように某社に送った原稿は、ありがたいことに三ヶ月で結論がでます。で、今回わかったことは、某社では、編集会議にかける前に、学校の司書さんに原稿をわたし、感想を求めているようなんですね。編集者さまのご好意で、送っていただきました。

ボツになる可能性も高いので、ここでは内容は明かせないけど、出版前(どころか手直しすらしていないの)に生の読書感想を読めるとは、思ってもみませんでした。

そういう出版社もあるということ。「へえ~」ですよね。

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2008年3月27日 (木)

ナンセンスの評価基準

スーパーで買い物していたら、なぜか思いついてしまいました。大したことじゃないけど、メモとして残しておきます。

ほんと、児童書を評論する人って、ナンセンスに弱いのね。「弱い」というのは、言葉できちんと説明できないということ。本格的というか、こちらが納得できる評論なんて読んだことがありません。せいぜい「読者サービスに徹している」とか「おもしろい」が関の山。それでは、できのいいナンセンスとできの悪いナンセンスの区別なんて永遠にできないでしょうが。プン。

ということで、ホップステップジャンプ理論を提案します。

ナンセンスの基本は笑い。笑いはホラーと紙一重。ナンセンスは、さらにその先をいく。

1 ホップ  ありそうでこわい。あったらこわい。

2 ステップ でも、よく考えたら、おバカ。

3 ジャンプ おバカが、ぶっとぶ。

ナンセンスでも最低限のリアリティは必要です。それが「ありそう」で担保されてあるわけ。さらに、それだけでは、ただの生活童話になっちゃうので、「ぶっとぶ」が必要と。

だから、「ぶっとび」感が低い作品は、できの悪いナンセンス。「ありそう」が担保されていない作品は、現実ばなれしすぎたナンセンス。あるいは、マンガ。これで、一応の評価基準になるでしょう。

もちろん、この評価基準では、ザルのように漏れていく作品も多いです。特に絵本系統は、お手上げ。でも、「読者サービスに徹している」よりは遥かにましな気はしています。いかがでしょうか。

○ホップ ステップ (ありそうな恐怖と笑いを混在させ助走)

 夜道を歩いていたら見知らぬ人間に大声で話しかけられる(恐)

  よく見たら、ケータイを使っているだけ(笑)

  でも、そのケータイは、電話ではなく、テレビのリモコンだった(恐)

  「あ、まちがえて持ってきちゃった」(笑)

○ジャンプ

 めんどくさいから、リモコンをほんとうの電話のように使ってしまえ。と思って、適当にチャンネルを合わせたら、リモコンからアイドルの声が。「テレビ出演中に電話なんかしてくるな、ぼけ~」

……。

つ、つまらん。即興で作ったネタなんて、こんなもの。これこそ、ぶっとび感がたいしたことないナンセンスというのです。でも、評価するための言葉はこれで手に入れられたでしょう?

ちゃんちゃん。だれか、もうすこし、ましな評論を書いてくれい。

 

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2008年3月25日 (火)

今年も参加

四月の頭は、恒例の福島正実記念SF童話賞の贈呈式。

今年も参加しまする~。で、いつものように、大阪東京間のお得宿泊プランをいろいろ当たってみました。安いだけなら阪急交通社の飛行機往復19800円プランがあるんだけど、これは移動の大変さとともに、ホテルに問題が……。やっぱり、今年もひかり号利用の「いざ出張プラン」かあ。マンネリ。

http://www.jrtours.co.jp/business-travel/index.html

二日目はヒマなので観光予定。どういう場所が人気なのかは、意外に、これを見れば参考になるかも。使わないけどね。

http://search.hatobus.co.jp/main/search_ty.php

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2008年1月 7日 (月)

自費出版の大手・新風舎、事実上倒産

自費出版って、広告を読むかぎり、ジドー書が多いんですよねえ。おそらく、あまり枚数を書かなくても本になっちゃうからだと思われます。それが業者にとっては、つけこむ隙になるわけで。それだけトラブルも多く社会問題化寸前だったわけで。……。

つまんないことを書くけど、児童文学の機関紙にも新風舎は広告を多く出していました。書店にならんでいない本の広告だけ打つという姿勢には首をひねっていたんだけど、前々から、これって、「うちはこんなにがんばっています」というアリバイづくりに利用されているだけとちゃうんと疑っていました。けど、そんなところからも広告料をとらなきゃ資金運営がなりたたないのが、また児童文学の現状なわけで。もちろん、児童文学者協会員のわたしも同罪なわけで。……。

まあ、つぶれるという事態がなければ、この本音はずっと封印しておくつもりでしたが。個人的には新風舎とはまったく接点はありませんが、他人事ぶってはいけない気がしております。

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2007年10月29日 (月)

ハリーポッターの校長は

ゲイだという告白を、作者自らがしたそうで。(ググったら、いくらでもでてきます(笑))。

別にとやかく言うつもりはないけど、ハリーポッターって、腐女子ウケする小説だったんですね。きっちり、それを嗅ぎわけ、作者に告白するよう持っていった勢力って……。そっちのほうが、こわいわい。  

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2007年10月12日 (金)

きみも名探偵

春先に依頼のあった「きみも名探偵」シリーズの原稿。偕成社さんから問い合わせがありました。

なんでも絵をつけるに当たって確認したいところがあるとのこと。

アンソロジーの中の一編なので、どうせ埋没しちゃうだろうけど、それでも生きててよかったです。だって、刊行予定は「2007年秋」だったんだもの。

今から秋?にまにあわせるとすると……。イラストレーターさん、大変そう。

 

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2007年9月22日 (土)

オフ会

今日はオフ会。

うだうだ~と、創作仲間とだべってまいりました。昨今の出版事情がやはり作家にも影響を与えはじめていることが判明。とうとう、こんなことを言う軽装版の編集者も現れはじめたようです。

「多少のつじつまは合わなくてもいいから、インパクトのあるものを」

つじつまを合わさない小説なんて、××じゃん。そういう非常識なアドバイスを受けるたび、作家は迷いの森に入っちゃうんだよね。はあー。

ということで、参加者のみなさま、お疲れ様&ありがとうございました。たのしかったです。

わたしも、そろそろがんばって書きはじめまっす。といいつつ、梅田に出ただけで、しばらく寝込むくらい、スタミナ切れ~。まずは体力をとりもどすことからはじめまする~。

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2007年8月14日 (火)

私的業務連絡

今年の会報に原稿は書きません。 

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   「病気ネタしかないの~。うるうる」 

 

 

 

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2007年8月10日 (金)

ったく

児童書の軽装版には児童文学寄りとライトノベル寄りの二種類があり、わたしのような立場の人間がライトノベル寄りの作品を読むと、荒さを感じずにいられない。これは、以前、書いたことだよね。

バカなので、また研究のため、その手の作品を読んでしまいました。作品名はあげないけど、

「なんだよぉおおおおっ」とか、「ちょっとぉおおおおおおおおおおおおっ」とか、

こんなセリフを多用できる、そのセンスに、だんだんむかっ腹が立ってきました。一行の説明文で済みそうなところを会話の多用で一ページにしてあったり、とつぜん一行の空白だけで人物の視点を変えてしまったり、ほんと、小説作法の基礎の基礎をライトノベル文法で破壊しつくすその姿勢には荒さ以上に薄ら寒いものを感じました。

キャラ立ちならぬ、キャラだけエンタテイメントなら、これでも許されるってか。

ったく、勘弁してくださいよ。

さらに、アニメなどで既視感がありすぎるものを文章化してあるだけなのに、児童書ではめずらしいというそれだけで持ち上げるのは、やめてほしいんですけど。その作家にしか書けないものが書いてある。それがわたしの読みたい作品です。でなきゃ、おもしろいと感じられない。というより、自分にしか書けないものを書こうとするのは作家の本能ではなかったのか? 量産作家だからといって、既視感のあるもののコラージュだけで作品を成立させんなよ。速書きしているのがミエミエ。

ライトノベル作家が流入してきても、売り上げは伸びても児童書全体のレベルは上がらんわ。なんか、確信してしまいました。  

 

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2007年7月12日 (木)

こわい! 闇玉

 きのうよりは体調がいいぞ!

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  まだまだ出版は先なのに、どうして見本が届くんだろう?

  と思っていたら、明日が発売日でしたあ! 

 

アクセス解析をしてみると、講談社の方も今日になってこちらをのぞきにきているようです。それは、このためだったのね。どなたですか?   

まだパラパラとしか読んでないけど、相も変わらずイラストの田中さんがトバしているのが笑えます。

 わたしの作品は、怪談の装いをしたコメディーです。こわい話の募集なのに、どこまでアマノジャクなんでしょ、この作家は。

ひまな方は読んでコケてください。プレゼントは、冊数がすくないので、なし(笑)。

 

 

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2007年5月 9日 (水)

ハーフ

今年の児童文学者協会賞は、草野たきさんの「ハーフ」ですか。うーん。

ストーリーは、イヌを自分の母親と教えられてきた小学生の主人公が、そう教えてきた父親(もしかしたら頭がおかしいのかもしれない)と、どう葛藤し和解して、健全な生活をはじめるかを綴ったものです。

まちがってたら、ごめんなさいだけど、これって元ネタはこれじゃないの?

ブラックジャック第七十話「ネコと庄造と」

ストーリーは、ブラックジャックが往診にいくと、ネコを自分の家族と思いこんでいる男と出会うというものです。男は、事故で家族をなくしており、そのときのショックで、たまたま家に住み着いたネコを自分の家族と思い込むようになってしまったそうです。ネコの母親の名前は、洋子。男は、その妄想以外はすこぶる常識的な人で、主観的には幸せ。だけど、思い込みは、脳血腫からきているものなので、ブラックジャックはそれを手術し、男の病的な妄想も治してしまいます。だけど、やはり男はネコを家族として扱うという感動のエンディングになっています。

では「ハーフ」ではどうか。イヌの名前は、ヨウコです。これって確信犯にしか思えないんだけどなあ。

草野たきさんのテーマは、どの作品を読んでも一貫しています。それは、「人間関係はしんどいものだけど、つながりたい人とつながるためには、そのしんどさも引き受けていく」です。

今回の主人公も、父親としあわせに暮らすためには、父親の妄想とどう折り合いをつけるかという試練に立たされます。しあわせなんだから、ちょっとぐらいのおかしさも引き受ける、というわけですね。

でも、わたしはブラックジャックの話が頭にあったので、どうして父親をきちんと医者に診せないのかと、そればかり気になりました。作品内では、父親は本当におかしいのか、あるいは、イヌを妻扱いせざるをえないくらいただ弱くて寂しいのか、の真相はぼかしてあります。だけど、常軌を逸しているのは確か。

わたしは、主人公が最後まで「父親はほんとうにおかしいのかおかしくないのか」と向き合わなかったことに不満をおぼえました。妄想以外はしあわせだからいいじゃんも、一種の高級な思想かしれないけど、それがもし脳血腫からきているものだったらどうするの?というのがわたしの引っ掛かりです。

心の病気なら治せばいいし、病気でないならそれはそれで一安心。わたしはこの立場です。主人公の不幸の大半は、父親はもしかしたらおかしいのかもしれない、という不安からきているものです。なぜ、本丸と対決しないのかなあ?  これと対決したら確実に楽になれるのに。

主人公の関心は、では本物の母親はどういう人だったか?、に逸れていきます。母親は、結果的に、育児放棄した、あまりよろしくない人でした。だから、母親もイヌでいい。そっちのほうが幸せと、物語も、どんどん本当の問題(父親はおかしいのかおかしくないのか)から、逸脱していきます。しかし、この展開も問題ありです。じゃあ、もし母親が、まともな人だったら、どうなったの? そのときには、いくらなんでも、イヌが母親であってよかったなんて思えないでしょうが。その時点で、しあわせならそれでいいという思想モドキも、破綻します。その証拠に、ストーリーは最後にイヌが死ぬことで収束にむかいます。それは、そのままイヌが生きてたら(作者や主人公にとって)不都合だったからではないでしょうか? 

草野さんの作風は、「しんどさも引き受ける」だったはずです。 「父親は医者に診せたところ、本当に精神病だった」というしんどさは、どうして、引き受けないのでしょうか?  現にブラックジャックの庄造は、脳障害をほうっておいたら死んでしまうところでした。しあわせならそれでいい、は、違うのではないのでしょうか?

そんなに精神病と診断されるのがこわいのでしょうか?  そっちのほうが偏見です。差別意識といっていいかもしれません。 

もちろん小説は、こんなひねくれた読み方をしなければ癒しの感動物語であることは言うまでもありません。でなきゃ賞なんてとれませんから。

言っておきますが、わたしは草野たきさんの作品群はすきです。今回は、その中でも、奥行きという点では、一段落ちる気がしています。 

毎度まいど一流の評論家や選者の評価と違ってごめんなさいね。わざとやっているつもりは毛頭ないんだけど……。

 

 

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2007年5月 2日 (水)

どうしてトラックバックをつけたか(4/28おもしろい日記発見のつづき)

それは、かつて、こんなことがあったからです。もう名残しかありませんが。

http://d.hatena.ne.jp/yamada5/20060623

Ⅰ氏はもう協会を脱退しています。もちろん、再特集もなし。

「軽装版」という言い方にすると、文庫全体の問題になります。でも、児童文庫には、バリバリの純文学も入っています。ですから、正確には専門誌は「ライトノベルノリの児童書」という呼称にでもして特集を組めばよかったんです。でも、しない。たぶん、「ライトノベル」という呼称自体に抵抗があるからだと思われます。あるいは、知らないとか(笑)。

はっきり言います。専門誌より「ゆーずー無碍」さんの方が遥かによくできた特集になっています。ライトノベルとはっきり言い切って俯瞰したところなんて、特にすばらしい。

わたしは、児童文学の専門家(特に評論家)はこれに対し、はっきり自分の意見を述べるべきだと思っています。でも、触らぬ神にたたりなし、なんだなあ。あいも変わらず、イデオロギーと思想性、教育ばっか。

おまけに、エンタテイメントとライトノベルを混同している節もあります。「ズッコケ」と今のライトノベル風小説とでは問題の質がちがいます。おもしろいおもしろくないの問題ではありません。

では、わたしの考えを述べましょう。たとえば、ここに一冊のライトノベル風イラスト児童文庫があったとします。

もし、これが児童文学一本でやってきた作家の本なら、ライトノベル愛好者が読むと、かなり違和感を感じるのではないでしょうか。ノリが違うと。

あるいは逆に、ライトノベル畑から児童書にやってきた作家の本なら、児童文学愛好者が読むと違和感を感じるようにできています。荒いと。わたしは、よくこれを感じます。要するにノリが違うんです。

でも、それぞれの愛好者が読む本をまちがえなければ、「おもしろい」に落ち着くのではないでしょうか。どれぐらいの「おもしろさ」かは置いておくとして。

そういうことが起きているのに、子どもウケするのは決まったイラストだからといって、両者ともおなじようなものをつければいいなんてのは、おかしいです。しかも、両者がおなじレーベルに共存していたら、作家の知識のない人は、自分の望むタイプ(児童文学寄りかライトノベル寄りか)を選びそこなう可能性があります。それは不親切ではないでしょうか。

すくなくとも「ふしぎの国のアリス」に萌え画をつけるなんてのは言語道断です。あんなに内容で萌えられない小説、どこにありますか。

ライトノベルはどうかしらないけど、基本的に小説は、内容が主で、イラストは従です。その内容にふさわしいイラストがついている本が、いい本。わたしは、このスタンスです。

もちろん、「そんなスタンスは甘い」という意見の方もいらっしゃるでしょう。それはそれでいいんです。いけないのは、自分の意見も述べずに、無視することで態度を表明している気になっている評論家です。「触らぬ神にたたりなし」は、ずるい。この問題を現代児童文学のトピックとしてとらえていないとしたら鈍感。

だから、たとえば「CLAMPのイラストがついているのに、しょせん内容は児童文学。だからあまり評価しない」みたいな感想をつけられるのは(本当にこの手の感想がAMAZONでついたことがある)、たとえ他人の作品でも、わたし(一応作家)個人としては、むかつきます。かといって、読者の気持ちもわからなくはありません。ですから、自分のむかつきを押し付けられるとも思っていません。

じゃあ、逆の例として、売れている「妖界ナビ・ルナ」を挙げましょう。児童書愛好者が読めばこうです。

http://d.hatena.ne.jp/qco/20051218

なにかが、ねじれている。そう思いませんか? わたしは個人批判をしたいのではありません。作家にもイラストレーターにも、このコンビを組ませることによって大ヒット作に仕立て上げた編集者にも、それぞれが最善の努力をしたということでなんら罪はありません。だけど、変。

おまけに、作家として、もっと困った事態も生じています。それは、ウケるのはあの手のイラストの小説だから、作家の持ち味を殺してでも、内容もその手のものにすればいいと考える編集者がでてきつつあることです。新風舎以外にも、もしかしたら、いるんじゃないか?  

児童文学というのは、そもそも、ものすごく広い分野を網羅した文学なんですね。「大人文学」なんて言い方は、ふつうしません。大人の本は、ミステリーとか純文学とかジャンル分けされているはずです。でも、児童文学は全ジャンルをひっくるめて、子どもむけなら児童文学または児童書です。ですから、逆になにをやってもいい。ひとりの作家がエンタテイメントと純文学の両方を書いてるなんて例もすくなくありません。

それなのに、自らの手でジャンルを「ライトノベル風」という極めてせまい枠にとじこめるのは、もったいないと思うんだけどなあ。

すくなくとも「ライトノベルはおもしろいから児童書もライトノベルになっていく」なんて物言いには、わたしは味方できません。そういう方には、こう反論させていただきます。

「それは、あなたが、ライトノベル風のイラストは似合わない『おもしろい』児童書を読んだことがないからだ」と。

もちろん、ライトノベル愛好者がその手の本を読んだとしても「つまらない」と感じる可能性も否定しきれません。さらに、根本的に子どもは本を外見でしか選ばないという問題もあります。このままではライトノベルイラストが似合わない娯楽小説は「おもしろく」ても淘汰される危険性があります。そんな本にまで無理に萌えイラストをつければ、先ほどのねじれ現象が起きます。うーん。どうすれば、よかんべ?

うまく住み分けしてくれ。ぶっちゃけ、これが本音なんですけど。

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2007年4月28日 (土)

下の続き

正論。

これぐらいのことは児童文学に携わる評論家が先に書け!ていう感じ?

http://d.hatena.ne.jp/sakaguchixxx/20070423

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おもしろい日記発見

つーか、コメント欄に作者がでてきて舞台裏を明かしているのがすごい。続けて読んでみてください。新風舎ぁ~。

http://d.hatena.ne.jp/yuzumuge/20070401/ 

http://d.hatena.ne.jp/yuzumuge/20070425/p1

ちなみに、何度か書いているように、わたしは萌え画がきらいです。わたしは、おっさん。研究のため書店のカウンターなり図書館のカウンターなりに、その手の本を持っていく際は、かなり恥ずかしい思いをしています。ほんと、なんとかしてくれいという感じです。言ってはいけないことなのかもしれないけど、(特に内容的には女の子限定ではなさげなのに)女の子しか手にとれない本って、どーなのよ。

で、ここで悩み相談。

もし女子が主人公の本を出版できるってことになったら、わたしは、だれにイラストを頼んだらいいのでしょう?  それが今の売れ線だからと目をつぶり、自分が手に取るには恥ずかしいイラストをつけてもらうのがプロとして正しい姿勢なのでありましょうか?  男の子にも読ませたいと欲しても、絵的に女の子にしか受け入れられない本を作るべきなんでしょうか。

もし男子にも女子にも抵抗なく受け入れられる女の子の絵を描けるイラストレーターがいたら、早急に教えてください。ほんと、頼んますわ。

 

 

おまけ。ゆーずー無碍さんのサイトから、こちらに飛んできてくれている方々へ。つまんないことしか書いてないのは、この記事(のみ)は同業者に読んでもらうことを前提にしてあるからです。 すみません。わたしの著作は横に一覧があるので、それをご参考に。

わたしの更なる毒舌本音を読みたい方は5/2の記事にとんでください。

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2007年4月20日 (金)

謎のさけび

採用数が去年の半分になってるがな。五月に増刷がかかるのに、なんで?

 これではオフ会もできんぞなもし。

http://shop.kodansha.jp/bc/aoitori/news.html#0609_2

相変わらずド素人に混ざって小商いをしている自分もどうかと思ふ。

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2007年1月28日 (日)

トモネン (大庭賢哉著 宙出版)

コミックです。

大庭賢哉。この名前は、児童書にかかわっている方ならご存知ですよね。主に軽い児童エンタテイメントに挿絵をつけることが多い方。軽いエンタテイメントには萌えか少女マンガ(わたしはそのどちらも嫌い)さえつけておけばいいという風潮が広まっている中、独特の存在感を保ちつづけている方です。個人的に、いつかいっしょに仕事したいと憧れている方でもあります。

まさか同人誌でマンガを発表しているとは思いもしませんでした。

読んでみると、絵は、ジブリアニメ原画風のものが大半。実にうまい。

内容は、児童書そのもの。わたしは、自分自身がマンガっぽい作風でありながら、おもしろい児童書=マンガノリだとは思っていません。むしろ、マンガノリでないのにおもしろい作品が絶滅しないかと危惧しているくらいです。そちらも元気にならなきゃ。

児童書には、エブリデイマジックという、他のジャンルでは見られない手法でおもしろさを醸し出すタイプのものがあります。生活感がありすぎるライトファンタジーとでもいえばいいのでしょうか。大庭氏のこの作品集はその系譜を引いています。マンガなのにマンガノリじゃない。ですから、この本は、コミックというより児童書として語ったほうがいいでしょう。

ちょっとだけ内容紹介。「トモネン」は中学年向き。魔女っ子ものにありがちなドジの系譜を引いていながら、妙な生活感があります。たとえば、トモネンは、魔女修行中なんですが、一般の子に詰め寄られます。

「魔法って、資格とかとれるの?」「修行終わったら、就職はどうするの?」

トモネンは泣いてしまいます。で、オチは、師匠のこの一言。

「絵画教室のようなものでは。一年コースだし」

コケますわ。「トモネン」シリーズは、このノリね。で油断していると、本自体は作品集なので、どんどん読者対象年齢があがっていきます。いわゆる高学年以上向きになっていきます。

たとえば「Go Girl」は、哲学的思考に目覚めていく少女の話。

少女は、手紙を書くとは、自分ではない誰かとつながることだという思考を得ます。それは他者の発見。少女は海にむかって手紙を投げます。すると、それをおかあさんに見つけられるんですね。おかあさんは、少女に答えます。

「はじめまして。私も自己紹介するわ。私は……」

少女はそれを聞いて泣きだします。「おかあさんは私とは別の人間だったんだ。当たり前だけど、それを知ったからには、もう後戻りはできない」って。

どうですか? これをマンガでやっちゃうんですよ。もう下手くそな児童文学作家は真っ青ではありませんか。

この作家は、挿絵経験が生きているからでしょうか、子どもの心の襞をとらえるのが抜群にうまいです。マンガでここまでできるなんて驚きです。児童書らしいマンガ。ジブリよりジブリのいいところを継いでいるマンガ。

降参。

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2007年1月10日 (水)

木暮正夫先生、ご逝去

ご冥福をお祈りいたします。

合掌。 

 

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