2007年7月27日 (金)

止まっているエスカレーターの謎

わたしはバリバリの文系なので、やはり理系の人間の思考法には負けてしまうところがあります。

大阪日本橋のはずれには百円ショップのダイソーがあって、ここは常時エスカレーターが止まっています。建物がせまいので、のぼりのエスカレーターをつけてはみたものの、それでは店内を下ることができない、不便。ということで、エスカレーターを止めてしまったという変な店です。

謎はここから。止まっているエスカレーターに乗ろうとすると、なぜかガクンとなるのです。いついっても、そう。はなはだ気持ち悪い感覚。止まっているエスカレーターは普通の階段にはなれないのです。

文系バカのわたしは、てっきりその理由を、

「脳が、止まっているエスカレーターを動いているものと仮定しているからだ」

と思っていました。もう階段はなくなっているのに、あるつもりで足を踏み出すと、から足を踏んで気持ち悪い。あれとおなじ現象がエスカレーターでも起きていると思っていたわけ。

ところがところが、某書を読んでいると、まったくおなじ疑問を感じた理系の著者が、謎を見事に解いてくれていました。

それは、エスカレーターの××は、×になっていたからです。

チキショー。そんな単純な理由だったのか。前の推理は完全に的外れだったわけだ。あほらし。

ということで、止まっているエスカレーターをたまたま歩くことになった人はなぜかを考えてみてください。

答は「史上最強科学のムダ知識」平林純著(技術評論社)に載っています。他にも、金正日がシークレットブーツを履いていることを科学的に検証するとか、めがねっ子にときめく理由を科学的?に解くとか、おバカ興味に満ち満ちた本です。後半の「おっぱい星人」がどうしたこうしたはひとりよがりすぎるので読み飛ばしましたが。

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2006年12月22日 (金)

うちのネコが訴えられました!?(山田タロウ著 角川書店)

ブログから書籍化されたノンフィクションです。

内容は、うちにきている野良猫を飼い猫と勘違いされた上、その猫にBMWを傷つけられたから賠償金を払えと告訴された人の裁判記録です。

そもそも訴訟自体が単に因縁をつけられただけっぽい上に、原告がいかにもコマッタちゃんなんですね。著者の被告人は、徹底的に物証を固めていくという当たり前のことをすることで、裁判ではコテンパンに原告をやっつけます。が、原告は、中途半端な法律知識で動いているコマッタちゃんなので、根本的なところで、ちぐはぐなことばかりやらかします。

まるで笑えないコメディー。

だけど、あまりにバカバカしい訴訟なので、裁判官は二度も示談するよう著者に求めてきます。著者は断固戦いきるのですが、示談にのっかっていたほうが実は安上がりだったというオチになっちゃいます。

なんだかなあ、です。これじゃあ、訴えた者勝ちです。もちろん、著者はその経験を書籍化したことでコマッタちゃんに報復したことになるわけですが(いくら仮名にしても、地元ではどこのだれかはバレバレでしょう)、世の中では、このような理不尽に泣かされている人も多いはず。

原告をやっつけるところは胸がすくのですが、著者はものすごく容赦ない人だし、それでも勝負に勝って損得には負けた状態だしで、日本の裁判制度の不親切さも透けて見え、なんともいえない後味の悪さも残ります。全体的にはおどけた調子にしてあるのですけどね。

裁判とはなにか、裁判をしたがる人間とはなにかが、よくわかりました。読む価値ありです。

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2006年10月23日 (月)

「青空の卵」 坂木司著 東京創元社

名探偵はひきこもりという帯がついていたので、読んでみたら、ひきこもりというよりも、アダルトチルドレンの癒し小説でした。

主人公はあまり外出しないひきこもりであり、それを心配する友だちが些細な日常の謎・事件を持ち込んでくると。すると、主人公は、結果的に安楽いす探偵よろしく、数少ない手がかりで謎を解いてしまう、というのが物語の基本構造になっています。

ただ変わっているのは、日常のミステリを解いているうちに、人と人との繋がりができ、主人公やその友だちが人生の深みのようなものに触れて癒されていくというところです。安楽いす探偵とアダルトチルドレン(断じてひきこもりではない)の癒しをくっつけちゃったわけ。

賛否両論あるみたいだけど、せちがらい本格推理小説など最初から相手にしていないわたしには、このウエット感が児童文学みたいで気もちよかったです。ちょっと引用してみますか。310ページあたり。

親になるというのは、お金や責任もあるけれど、なにより、自分よりも幸せにしたい人間ができることなのだ。それはきっと、国や人種を問わない。世界中の親は、子供を想ってこうつぶやくだろう。 「幸せに、おなり」   (引用終わり)

今時、ここまであからさまな綺麗事は、児童書でもなかなかお目にかかることはできないぜ。でも、この本は、オトナ向けのミステリとして、それをやろうとしてるんだ。きちんと説得力を持たせて。

なるほどぉ。こんな手もあるのか。新鮮でした。

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2006年10月21日 (土)

「NHKにようこそ」 滝本竜彦著 角川文庫

深夜に同名のアニメが放送されています。なにかの感動を与えてくれそうで、今のところはまったくダメ。なにかをやりそうで、現代風俗のオタッキーな部分をなぞるだけという、クソみたいなアニメです。だけど、自分の嗅覚はまちがいないはず。というわけで、思い切って原作を読んでみました。

「NHKにようこそ」滝本竜彦著 角川文庫

大傑作じゃないか。アニメは原作の上っ面(おたく的なところ)をなぞるだけで、肝心の精神をまったく生かしきれていません。ていうか、わかってない。

あらすじは、こうです。ひきこもりの俺は、ドラッグをやることで、自分がひきこもりなのは「NHK(日本ひきこもり協会)」の陰謀という悟りを一時期だけ得る。そんな俺に、新興宗教をやっているらしい女の子が近づいてきた。彼女は俺をひきこもりから救ってくれるという。彼女がやりはじめたことは、適当に集めた心理学や自己啓発本をひたすら俺に読み聞かせるというものだった。俺は、じょじょに彼女の正体に気づいていく。彼女は、新興宗教の中ですら居場所がなく、自分よりダメな人間を見つけ、それを救うことでしか自分の居場所ももてない元虐待児だったのだ。俺は、彼女を救うために、NHKを使うことを思いつく。

ひきこもりのノンフィクションはいくつか読んだことがありますが、その心理をここまで的確に表現した書物は他にありません。引用します。

つまり俺たちは、寂しいからひきこもってるんだ。これ以上、寂しい思いをしたくはないから、ひきこもってるんだ。 俺は誰よりも欲張りなんだ。中途半端な幸せは欲しくないんだ。ほどほどの温もりなんて、いらないんだ。いつまでも続く幸福が欲しいんだ。しかし、それは無理だ! なぜかは知らないが、この世の中、かならずどこかで邪魔が入る。大切なモノは、速攻で壊れる。(中略)だから最初から、なんにもいらない方がいい。

ここまでが266ページあたりからの引用。主人公はひきこもりです。でも、世の中には、世の中がブラックボックス化しているからこそ、自分がなぜ不幸なのかもわからず、自分をもてあましてしまう人間はいくらでもいるんです。ひきこもりも含めて、すべてのさびしい人間を救う唯一の手立ては、もちろん、あやしげな自己啓発ではなく……。

以下、301ページ以降から引用。

どうして悲しむ必要がある? もしも君が、いつでも苦しくて寂しくてやりきれないとしたら、それは不条理だ。おかしいじゃないか。そんな話は変じゃないか。 だから、どこかに元凶が存在しているんだ。(2ページほど、とばして)奴らが俺たちを苦しめている。悪いのは全部NHKだ。もしもこの先、君の周りに悪いことが起きたとしても、それはぜんぶNHKのせいなんだ。全部NHKが悪いんだ!……もっともNHKという名前は、あくまで便宜的なものだ。名前なんて、どうでもいい。NHKって名前が気に入らなかったら、好きに呼べばいい。なんだったらサタンでもいいぞ。悪い神様でもいいぞ。おんなじことだ。(引用終わり)。

熱いじゃないですか。さけびになっているじゃないですか。要するに、どんづまりの人間は、仮想敵をつくり、それに責任転嫁するしか救いの道はないというわけです。今なら、すべては北チョーセン(これは仮想どころではなくなってきていますが)のせいとか、ネット右翼はサヨクのせいとか、サヨクは帝国主義のせいとか、なんなら、フリーメーソンでもユダヤ人でも、ニャントロ星人でもいいぞ(笑)

NHKの意味というか深さがこれでわかったでしょう。だから、この作品は傑作として、これからも残り続ける。読み間違えれば、アニメみたいに、ただのオタッキー扱いされてしまいますが、この本はそんな単純なものとは断じて違います。

アニメの「NHKにようこそ」をつくっているのは、GONZOですか。これについての悪口は、いずれ、また。

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