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2007年5月 9日 (水)

ハーフ

今年の児童文学者協会賞は、草野たきさんの「ハーフ」ですか。うーん。

ストーリーは、イヌを自分の母親と教えられてきた小学生の主人公が、そう教えてきた父親(もしかしたら頭がおかしいのかもしれない)と、どう葛藤し和解して、健全な生活をはじめるかを綴ったものです。

まちがってたら、ごめんなさいだけど、これって元ネタはこれじゃないの?

ブラックジャック第七十話「ネコと庄造と」

ストーリーは、ブラックジャックが往診にいくと、ネコを自分の家族と思いこんでいる男と出会うというものです。男は、事故で家族をなくしており、そのときのショックで、たまたま家に住み着いたネコを自分の家族と思い込むようになってしまったそうです。ネコの母親の名前は、洋子。男は、その妄想以外はすこぶる常識的な人で、主観的には幸せ。だけど、思い込みは、脳血腫からきているものなので、ブラックジャックはそれを手術し、男の病的な妄想も治してしまいます。だけど、やはり男はネコを家族として扱うという感動のエンディングになっています。

では「ハーフ」ではどうか。イヌの名前は、ヨウコです。これって確信犯にしか思えないんだけどなあ。

草野たきさんのテーマは、どの作品を読んでも一貫しています。それは、「人間関係はしんどいものだけど、つながりたい人とつながるためには、そのしんどさも引き受けていく」です。

今回の主人公も、父親としあわせに暮らすためには、父親の妄想とどう折り合いをつけるかという試練に立たされます。しあわせなんだから、ちょっとぐらいのおかしさも引き受ける、というわけですね。

でも、わたしはブラックジャックの話が頭にあったので、どうして父親をきちんと医者に診せないのかと、そればかり気になりました。作品内では、父親は本当におかしいのか、あるいは、イヌを妻扱いせざるをえないくらいただ弱くて寂しいのか、の真相はぼかしてあります。だけど、常軌を逸しているのは確か。

わたしは、主人公が最後まで「父親はほんとうにおかしいのかおかしくないのか」と向き合わなかったことに不満をおぼえました。妄想以外はしあわせだからいいじゃんも、一種の高級な思想かしれないけど、それがもし脳血腫からきているものだったらどうするの?というのがわたしの引っ掛かりです。

心の病気なら治せばいいし、病気でないならそれはそれで一安心。わたしはこの立場です。主人公の不幸の大半は、父親はもしかしたらおかしいのかもしれない、という不安からきているものです。なぜ、本丸と対決しないのかなあ?  これと対決したら確実に楽になれるのに。

主人公の関心は、では本物の母親はどういう人だったか?、に逸れていきます。母親は、結果的に、育児放棄した、あまりよろしくない人でした。だから、母親もイヌでいい。そっちのほうが幸せと、物語も、どんどん本当の問題(父親はおかしいのかおかしくないのか)から、逸脱していきます。しかし、この展開も問題ありです。じゃあ、もし母親が、まともな人だったら、どうなったの? そのときには、いくらなんでも、イヌが母親であってよかったなんて思えないでしょうが。その時点で、しあわせならそれでいいという思想モドキも、破綻します。その証拠に、ストーリーは最後にイヌが死ぬことで収束にむかいます。それは、そのままイヌが生きてたら(作者や主人公にとって)不都合だったからではないでしょうか? 

草野さんの作風は、「しんどさも引き受ける」だったはずです。 「父親は医者に診せたところ、本当に精神病だった」というしんどさは、どうして、引き受けないのでしょうか?  現にブラックジャックの庄造は、脳障害をほうっておいたら死んでしまうところでした。しあわせならそれでいい、は、違うのではないのでしょうか?

そんなに精神病と診断されるのがこわいのでしょうか?  そっちのほうが偏見です。差別意識といっていいかもしれません。 

もちろん小説は、こんなひねくれた読み方をしなければ癒しの感動物語であることは言うまでもありません。でなきゃ賞なんてとれませんから。

言っておきますが、わたしは草野たきさんの作品群はすきです。今回は、その中でも、奥行きという点では、一段落ちる気がしています。 

毎度まいど一流の評論家や選者の評価と違ってごめんなさいね。わざとやっているつもりは毛頭ないんだけど……。

 

 

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